綴る

日々のこと、生きること、表現すること。嬉しいこと、悲しいこと、幸せなこと。子育て、家事、とかもね。ジャンルはいろいろ。共通項は、わたし。

今、買い物して袋詰めをしながら、ふと思ったこと。

 

 

 

幼い頃、母と買い物に行けば、袋詰めをする時にビニールの買い物袋をペロッと開けてあげるのがわたしの役目だった。

 

レジ待ちに飽きて袋詰めも手伝わずにウロチョロしているものなら、

 

「開かなーい!」

 

とか言って、母がスカスカに乾燥した手で、ビニール袋と格闘しているわけ。

 

 

私は、中学時代に、

 

後ろから相手の目を隠して

 

「だーれだ?♡」

 

ってやるやつで、即答・即当、されて、なんで分かったの?って聞くと

 

「手が湿ってるから分かる」

 

とか言われたことがあるくらいにウェッティーな手をしていて、

 

そんなこんなで、

 

つやつやピチピチの私には、ビニール袋をペロッと開けるのの何がそんなに難しいのか分からなかったわけだけど、

 

母はそういうことでちょっと機嫌を悪くしたりする人だし、

 

私にとってはすごーく簡単なことだから、

 

いつも当たり前に開けてあげていたのです。

 

今はエコバッグだのマイバスケットだのが主流だけど、まだ、普通に、買い物すると当たり前にビニール袋が貰えたよなぁー。

 

 

 

そんでもって、今日、私は、

 

袋詰めの台の所にある、あのぐるぐる巻いてある透明なビニール袋をちぎって、鶏肉のパックを入れようとした時、

 

なかなか開かなかったものだから、

 

!!!!

 

と、なったわけです。

 

「開かなーい!」

 

と言って誰かに助けてもらう前に開いたから、まぁ、いいんだけど。

 

 

 

あー、私もあの頃の母の年齢に近づいているんだなー。

 

まぁ、厳密に言えば、私を産んだ時の母は、今の私よりいくつか年上なんだけどね。

 

 

幼い頃は、ただ、

 

大人って、手が乾燥するんだなー、

 

と思っていたけど、

 

そういや、今日は私にしては珍しく、素手で洗剤でいろいろ掃除したりして、手の平がガサガサしているのだった!

 

だから、

 

あぁ、

 

母は、歳をとっているからビニール袋が開けられなかったのではなくて、

 

家事で手が荒れていたからビニール袋が開けられなかったのか、と。

 

そして、私もそうして母のように、家事をする手に、働く手に、なってきているのかな、

 

ピチピチだったこの手も、まだまだだけど、着実に年を重ねてきているのかな、

 

ほんの小さなことだけど、これまでの苦労とか悲しみとか、ちゃんと刻んだ手になれているのかな、

 

と、思ったのです。

 

徹子さんの本にも、いくつか、フレンズの手のことが書いてあったから、なんとなく思いを馳せてしまいました。

 

私の商売道具のひとつ。手。

 

大切に、ちゃんと、相応に、年を重ねていきたいな。

 

 

 

 

 

 

うあああ!こんな時間!

 

 

 

開始!

 

…金曜日は、妻だって、嬉しい。